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タグ・ホイヤーの新型カレラ、通称“グラスボックス”は、間違いなく同社のターニングポイントとなる時計だ。

この39mmのカレラ グラスボックスのどこに注目すべきなのか、3つのポイントにまとめてみた。また、現在タグ・ホイヤーを率いている、CEOのフレデリック・アルノー氏から直接伺った話を含め、僕なりに本作がいかに特別な時計なのかを考察してみたいと思う。

 

1 数字以上に優れたサイジング
 近年のカレラはたびたび39mmというサイズでリリースされている。小型化のトレンドを受けたものではあるものの、このグラスボックスからケースがさらに工夫してシェイプされ、フィッティングが明らかに進化しているのだ。カレラ60周年アニバーサリーモデルなどで用いられた39mmケースはストレートに近いラグ形状で、短くて角度がついているが“腕に沿う”というほどではなかった。それが本作では、ラグをわずかにカーブさせたことにより着用者を選ばずつけやすくなった。さらには、ラグトゥラグのサイズにいたっては、カレラ60周年アニバーサリーモデルが47.7mmであるのに対し、46mmまで詰められた。これは実質的なサイズダウンであり、クロノグラフウォッチといえど、袖口に収まるようなスタイルを目指したのだと思われる。


2 オリジナルへのオマージュも感じるデザイン
 デザインにおいてはなんといっても大型の風防、通称“グラスボックス”を採用したことが最大の特徴だ。これまでのクラシカルデザインを用いたカレラも、大型のドーム風防を合わせることが慣例だったが本作の風防は特に際立っている。ケースの際まで覆うように配された“グラスボックス”は、サイドから見たときに煌めきを増すだけでなく、ケースをより薄く見せるような視覚効果ももたらす。この形状に合わせてタキメーターが印字されたフランジ部分は、別体パーツを用いて大きく隆起しミニマルな文字盤に視認性と個性を与えている。

 なお、非常に珍しいのが、文字盤の色によってダイヤルレイアウトが少し変化するのだが、それもまた画期的だ。ベースとなる黒と青文字盤で表情が変わるのだ。6時位置にデイト表示があり2カウンターのようなデザインの青に対し、黒文字盤ではデイト表示が12時位置(通称DATO:ダートだ)に変わり、いわゆる3つ目デザインとなる。同社内でヘリテージカレラの研究も進んでいるからこそ、過去の特徴的な意匠が盛り込まれたのだ。


3 地道な進化を遂げたムーブメント
 最後に、ムーブメントについても触れておくのだが、これはあくまで序章に過ぎないのかもしれない。HODINKEE読者ならば、現在タグ・ホイヤーでムーブメント開発の指揮を執る人物がキャロル・カザピ氏であることはご存知のことと思うが、彼女が監修したムーブメントに本作から切り替わっている。ただ、このCal.TH20-00は、厳密にはこれまでCal.ホイヤー02(そして古くはCH80)と名乗っていたムーブメントの改良版だ。パートごとに調整が入り、巻き上げ方式が両方向になったり一部の歯形が変わったりしているものの、基本的には同じものだ(日本の時計師にも話を聞いたが、やはり大きな変化はないそうだ)。ただ、カザピ氏の設計思想としては、非常に強固かつパワフルなベースムーブメントを開発したうえで、コンプリケーションまで展開するという特徴がある。その意味では、就任間もない現時点はまだ地ならしのような段階なのかもしれない。

 改良されたCal.TH20-00の行く末がカレラなのかモナコなのか…。タグ・ホイヤーのアイコンモデルで驚くべきコンプリケーションを見ることができるのは、おそらくそう遠い未来ではないはずだ。

 さて、本レビューの詳細はぜひ改めて動画で確認いただきたいものの、最後に強調しておきたいことがある。それは、タグ・ホイヤーにとってシグネチャーであるカレラがこれほどまでに大変革を遂げられたのは、CEOであるフレデリック・アルノー氏の手腕によるところが大きい。今回のアップデートは、時計好きの人にとってはガラリと変わった大きなものに映ると思うが、デザインとしてはよりミニマル方向へと舵が切られたものだ。いわば、これからの時代のベーシックとなるようなもので、短期的には大きく売上に貢献するようなものではないだろう。フレデリック氏がアルノー家の人間であることが作用しているのは間違いないが、それ以上に彼の覚悟の結果がこのグラスボックスに表れていると思う。

ポロは、ピアジェ初となる特定のモデル名を冠した時計であり、

この事実がポロについて知っておくべきことのほとんどすべてを説明してくれている。

「ピアジェは当時、モデル名に強く反対していました」と、ピアジェのパトリモニー(遺産)・オフィサーであるアラン・ボルジョー(Alain Borgeaud)氏は説明した。「彼らは常に、ブランドを第一に考えていたのです」。しかし、このデザインはピアジェの大胆かつ新しいスポーツシックな方向性を示すものであり、またブランド初のスポーツウォッチには名前が必要だった。少なくとも、米国代理人はそう主張した。当時、ピアジェはパームビーチで開催されたポロ・ワールドカップのスポンサーだったため、“ポロ”という名前は理にかなっていた。

そして1979年、ピアジェ ポロが誕生した。

ここ数年コレクターのあいだでヴィンテージピアジェへの関心が高まっている中、今年はピアジェの150周年となり、今はこれ以上ないタイミングである。ストーンダイヤルから極薄時計の製造まで、ピアジェは20世紀半ばのパイオニアだ。しかし、ほかの時計とは一線を画すものがある。それがポロだ。

 このコレクターズガイドでは、1979年に発表され、90年代初頭まで生産された初代ピアジェ ポロを詳しく紹介する。それは『カジノ(原題:Casino)』に出演したロバート・デニーロ(Robert DeNiro)氏の手首や、またアンディ・ウォーホル(Andy Warhol)、ブルック・シールズ(Brooke Shields)氏、ビョルン・ボルグ(Björn Borg)氏、その他多くの実在する人物の手首を完璧に飾り、瞬く間に時代のアイコンとなった。

 近年、ポロの人気が再燃している。これまでと同様、シルヴェスター・スタローン(Sylvester Stallone)氏が『タルサ・キング(原題:Tulsa King)』でポロをつけ、またコートサイドに座ったマイケル・B・ジョーダン(Michael B. Jordan)氏も着用しているなど、文化的な影響もある。しかし、その関心は主に愛好家やコレクターによって動かされてきた。それはノスタルジーであり、ピアジェが文化や時計製造に与えた影響への感謝であり、より小型でドレッシーな時計への転換でもある。これらが混ざり合って、私たちが“トレンド”と呼ぶ混乱を招く大釜になった。

piaget polo 7661 and 7131
初代ピアジェ ポロ 7661 C701(ラウンド)と、7131 C701(スクエア)。

 私は以前、ポロが発売された歴史的背景について記事にしたことがあり、マライカ(・クロフォード)はWatches in the Wild: パリ編で、ピアジェのボルジョー氏とともにその魅力を探求している。

 この記事ではピアジェのアイコンであるポロに焦点を当てる。同モデルへの関心は高まっているが、テキスト化した情報はまだあまりない。売りに出されているポロを見ると、値段はピンキリだ。大ぶりなポロよりも小ぶりなポロのほうが、高い値段が付いていることが多く、コンディションはあまり考慮されていないようだ。

 この記事がそれを変え、潜在的なコレクターがより多くの情報に基づいて購入を決定するのに役立つことを願っている。

ポロの幕開け
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ラピスダイヤルを持つヴィンテージのピアジェ ベータ21。Image: courtesy of The Keystone

ポロの前に登場したベータ21は、ピアジェを含む21のスイスメーカーがコンソーシアムを組んで開発したクォーツムーブメントである。ベータ21自体は上出来だったが、エレガントでシックな超薄型のピアジェには合わなかった。その分厚いムーブメントは、ロレックスの5100やピアジェ、パテックのベータ21のような、さらに分厚いケースに収められた。ピアジェは分厚い外観を好まず、超薄型の筆頭格としての評判にも見合わなかったため、ベータ21では、より薄い時計であるかのように錯覚を起こさせるステップケースを採用した。しかし、それだけでは十分でなかった。

「ピアジェは、私たちが最初から最後までコントロールできるものを望んでいました」とボルジョー氏。そこでピアジェは、独自のクォーツキャリバーの開発を開始し、最終的に1976年に、自社製Cal.7Pを発売した。それは発売と同時に、厚さわずか3.1mmという世界最薄のクォーツ時計となった。その後すぐに、女性用に設計されたさらに小さなムーブメントである8Pが登場した。

 新しい極薄ムーブメントを準備したピアジェは、同じようにシックな時計を必要とした。

 ボルジョー氏は、「米国代理人は特に、ピアジェには日常使いしやすく、若い新規顧客を引きつけることもできる“スポーツシック”な時計が必要だと考えていました」と話す。デイトナ(旧ル・マン)の初期の広告のように、ポロには触れず、ただ“新しくて輝かしい”とだけ紹介したピアジェウォッチの初期の広告を見つけることができる。

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ラウンド型のピアジェ ポロは、34mm(Ref.7661)と27mm(Ref.761)の2つのサイズで発表された。どちらも、ピアジェの新しい極薄クォーツCal.7Pを搭載している。Image: Courtesy of Bonham's.

 1979年、ピアジェは132~136gのゴールドを使用した金無垢時計、“ポロ”を発表。男性と女性をターゲットにした小さいサイズと大きいサイズの両方で展開し、またラウンドとスクエアのオプションもあった。ゴールドはサテン仕上げで、あいだにポリッシュ仕上げのゴドロン装飾を採用し、ポロの特徴的な外観を与えていた。ピアジェの新しいクォーツCal.7Pは、ポロに搭載された。今では愛好家がクォーツを見下すこともあるが、当時はこの新しい技術は違った見方をされていたのである。

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アートキュリアルオークションに出品された、ピアジェ ポロ。

「当時のクォーツは非常にシックで、7Pは最もシックなもののひとつになりました」とボルジョー氏。超薄型で、裏蓋に隠されたリューズを介して針をセットするため、ケースサイドからリューズの突出がない。つまり、リューズがピアジェの新しいブレスレットウォッチのエレガンスさを損なうことがないのだ。これにより、ポロは時刻を知るための2本の針を備えた、完全に左右対称のブレスレットウォッチとなった。

 標準的な金無垢ポロは、1980年代には約2万ドル(インフレ調整後で現在7万ドル、日本円で約1037万3000円に相当する)で販売されていた。さらにダイヤモンドセッティング、ストーンダイヤル、そのほかあらゆるカスタマイズオプションが、別料金で用意されてもいた。

 この頃、4代目のイヴ・ピアジェがブランドの指揮を執り、エレガントさと華やかさのバランスのとれたブランドとして、さらなる定義づけに取り組んでいた。“ポロはブレスレットウォッチだが、まず前提としてブレスレットである”と、イヴのこのセリフは有名である(フランス語ではもっと上品に聞こえるらしい)。

型にはまったピアジェ ポロ
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ラウンドポロのほうが認知度が高くなったが、一方でスクエアポロのほうが商業的には成功したとボルジョー氏は話す。

「(スクエアモデルの)ブレスレットはケースの形状と完全に一体化しており、ポロの重要な特徴であるブレスレットと時計が完全に調和化した完璧な例となっています」と同氏。この点については、私が話をしたすべてのディーラーやコレクターが同意していた。ラウンドポロが注目される一方で、スクエアポロはピアジェのブレスレットウォッチを最もよく表現している。

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スクエアポロ 7131を着用するマイケル・B・ジョーダン。Image: Getty Images

 ピアジェは1979年から1990年までポロを生産していた。1988年、ヴァンドーム・グループ(現リシュモン)はピアジェを買収した。ポロの生産は1990年に終了したが、ピアジェは買収後も数年間ポロを販売していたようである。

 ボルジョー氏の推定だと、ピアジェはスクエアとラウンドのポロを2000から3000本(合計4000から6000本)生産したという。製造数は驚くほど少ないが、メーカー希望小売価格や金無垢ロレックス デイデイトがその約半額で手に入ったことを考えると、それほどでもないかもしれない。

 ポロに含まれていた膨大な量の金と、歴史の大半においてポロの価値がスクラップの価値よりも低かったという事実を考えると(現在でもそれほどの価値はない)、長い年月のあいだにどれだけの数が溶かされたのかはわからない。

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イエローゴールドにホワイトゴールドのゴドロン装飾を施した7661 C701。ほとんどのポロはYG製であるが、約30%はWGとYGのツートンカラーである。Image: Courtesy of Wind Vintage.

 ポロの約95~98%はクォーツであった。ピアジェのコレクターにはたまらない、珍しい自動巻きポロについてはのちほど紹介しよう。YGのポロが圧倒的に多く、全体の約70%を占めている。残りの約20%がバイメタル(WGとYG)と、10%がWGだ。

vintage piaget polo 7661 and 7131 white gold
ポロのうち、WGで製造された個体はわずか10%に過ぎない。WG製の7661と7131。Images: Courtesy of Rarebirds and Sotheby's, respectively.

 ピアジェは数十種類のサイズ、スタイル、バリエーションでポロを生産した。リファレンスナンバーからは以下のことがわかる。最初の桁はキャリバーを表し、Cal.7Pの場合は7、Cal.8Pの場合は8が多い。次の数桁はケース素材を表す。そして末尾の桁はブレスレットの種類を表す。たとえば、ダイヤモンドのないプレーンな金無垢ブレスレットの場合は“C701”となる。

ピアジェ ポロの知っておくべきリファレンス
最も知名度が高くて重要なリファレンスは、初代の大ぶりなラウンドポロ、Ref.7661 C701(34mm径)およびその兄弟機であるスクエアのRef.7131 C701(25mm径)である。これらと並行して、ピアジェは小型のRef.761(27mm径、ラウンド)とRef.8131(20mm径、スクエア)も発表している。80年代を通じて、ピアジェはほかのサイズやデイト、デイデイトモデルを投入した。ピアジェはまたあらゆる種類のレザーストラップ付きポロも発表しているが、今回はフルゴールドブレスレットのものだけに焦点を当てる。なお2016年にポロ Sが発売されるまで、ピアジェはスティール製ポロを製造したことはなかった。

ダグラス・マッカーサー(Douglas MacArthur)将軍が所有していたジャガー・ルクルト レベルソを発見した。

レベルソが何人かの偉人に愛用されていたことは以前から知られていたが、なかでもマッカーサー将軍がこの時計をつけていたとは驚きだ。マッカーサーレベルソが出品され、ファンが食いつくだろうとは思っていたがそれは正しかった。結果8万7000スイスフラン(当時の相場で約1094万円)以上で落札された。そのときは知らなかったのだが、この時計を最初に製造した会社が買い取り、数カ月後に時計の実機を見る機会を得ることになった。

General Douglas MacArthur's Personal Jaeger-LeCoultre Reverso
 ご覧のとおり、この1930年代半ば製のレベルソは、小売店のゴレイ・フィス&スタール(Golay Fils&Stahl)社で販売されていた。リッチなブラックダイヤルに、裏蓋へ施された“D MAC A”のラッカー仕上げモノグラムが特徴である。このレベルソの裏蓋は、我々が過去に出合ったなかで最もクールな刻印のひとつだ。

 興味深いことに、この時計には“Jaeger-LeCoultre”とサインが入っており、JLCのアーカイブによると、このようにサインされた最初のもののひとつであるという。それまでのレベルソには“LeCoultre”のみがサインされていた。

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 このレベルソについて同様に興味深いのは、落札価格である。くだらない批評をする人たちが、“ああ、JLCはブランドの価値を高めるために入札したんだ”と言うだろうが、これらの発言はムーブメントが時計のコストの100%を占めると信じているようなものである。わずかな知識は、まったく知識がないよりも危険だという例だ。確かに過去にはブランドが自分らの時計を入札していたが、今日の目標は決して高い買い物をすることではない。オークションでは両者に責任がある。つまりJLCはこの重要な時計に8万7500スイスフランを支払ったが、ほかの誰かがそれをわずかに下回る8万5000スイスフラン(当時の相場で約1070万円)で、よろこんで支払ったということでもある。私にとってはそれが魅力的なのだ。

General Douglas MacArthur's Personal Jaeger-LeCoultre Reverso
 それはなぜか。これはヴィンテージレベルソの最高記録に違いない。本当かどうかはわからないが、きっとそうだろう。というのも、ヴィンテージレベルソは非常に重要なものであり美しいが、オークションでは決して高値がつかないのだ。それらは小ぶりで比較的たくさん流通している。しかしこの結果は多くのことを物語っている。誰が所有していたかにかかわらず、JLC愛好家にとっては励みになることは間違いない。

時計業界の変わり者。いつだって私は人が注目しないものにこそ目を向けている

アーティストになってクラバットを巻き、モノクル(片眼鏡)をかけるようになる数年前、 私は広告業界で働いていた。しばらくはとある伝説的な広告マンのもとで仕事をしていた。彼はふたつの逸話で知られた人物だった。ひとつは、彼が “悲しそうに見えたから”という理由で猟犬を手ずから訓練した話。もうひとつは、彼が人の心理を的確に理解する術を持っていたという話だ。ある日、ミーティングからの帰り道に彼は私を見てこう言った。「フィル、君は病的なまでに逆張りをしたがるんだね」。

 まさに、彼の言うとおりである。

 さて、前回のコラムでも触れたが、再びこの話を持ち出したのには理由がある。病的な逆張り屋の長所としては、他人が見ていないようなところに本能的に注目してしまうことが挙げられる。悪い点は、時として自分が見ている方向を誰も見ていないことがあることだ。だから時折ユニコーンから出た粉と、スワロフスキークリスタルでできた金床サイズのウブロをひとり抱え込むことになったりもする。

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 時計収集の世界においては、よそ見ばかりしているとしばしば日の当たらない一角に迷い込んでしまうことがある。クルマで言えば、1987年型ポルシェのスラントノーズに行き当たってしまうようなものだ。5年前は、お金を払ったとしても誰かに引き取ってもらうことすらできなかった。しかしそのおかげで、1980年代に流行したグループBのラリーカーをこよなく愛するようになった。そのためか、私は自分の奇妙な衝動に身を任せることを学んだ(少なくとも、それがどこに行き着くかを見極めるまでは判断を保留することにしている)。ここがクルマと時計の違うところだ。時計の場合、今さら発掘すべきブランドはほとんど残されていないように思える。しかしまったく日の当たっていないブランドというものはほとんどないものの、あまり好かれてない(あるいはそこまで愛されていない)ブランドというものは確かに存在する。たとえばブライトリングだ。私の逆張り本能を刺激し、臨戦体制にさせてくれるブランドである。

Vintage Breitling 765 AVI, late 1960s.
ヴィンテージのブライトリング AVI Ref.765、1960年代後半製。

 決して悪気はないのだが(“悪気はない”というフレーズのあとに、たいてい悪意の波が押し寄せてくるのはおかしな話だ)、現在のラインナップはかつてアメリカにあるショッピングモール内の宝飾品売り場で働いていた全盲のピエロによってデザインされたようだ(言い過ぎか?)。明確なデザイン言語があるわけではなく、過去50年に見られたさまざまなものを漠然と引用し、それらを時計という文脈のなかで攪拌しているように見えるのだ。

 しかし、1940年代から70年代初頭にかけて同社が作っていたものを見ると、息をのむような美しさがある。なおここまでの考察は、丸1年間をかけて時計収集に打ち込んできた男によるものであることを心に留めておいてほしい。

breitling pilot's chronograph
ブライトリングのパイロット クロノグラフは、十分な評価を受けていない。

 クロノマット、スーパーオーシャン、ナビタイマー、765 AVI、クロノマチック、トップタイム。これらの時計の多くは歴史的に価値のあるものであるが、それ以上に重要なのは、デザインの観点からブライトリングが独創的な飛躍を遂げたことである。特に1960年代の時計は私の知る限りデザインが非常に退屈で、時計を見るだけで眠くなりかねない時代だった。

 そのなかにおいてブライトリングは独自のスタイルを貫いており、文字盤デザインからケースサイズに至るまで、そこに落とし込まれた創造性は大胆かつ驚くべきものであった。現代のブライトリングのブランドイメージを考察するにあたって、40年前、50年前に製造されたモデルが熱心なコレクターの目にどのように映っているのかを知ることは、非常に興味深いことである(しかしまあ、驚愕するほどのものはない)。


 ここでふたつの時計を例に挙げよう。ひとつは私が所有しているもので、もうひとつは所有したくてたまらないものだ。まずは所有している1966年製のスーパーオーシャンから。まず第1にデザインの観点から見て、当時のほかのダイバーズウォッチとは似ても似つかない。ダイヤルはきれいだが、オリジナルを維持している。中央にセットされたクロノ針は先端に太いダイヤ型のデザインが施され、のちのバージョンではこの意匠は針とアワーマーカーにも採用されていた。手元に届いたとき、プッシャーを押しても何も反応がなかったので、クロノグラフの機能が壊れているのかと思った。検索してみると、スーパーオーシャンは秒ではなく分を計測する“スロークロノグラフ”を搭載していることがわかった。私の知る限り、このような機能を備えた時計はほかにはない。今後この機能を使うかと問われれば多分使わないし、どのように機能するかも気にならない。しかし、これはスマートかつ驚くべきテクノロジーであり、完璧に理にかなっている。ダイビングをするのに秒の計測なんて必要ないのだ。

Breitling 765 AVI Digital Mk. 1.2
ブライトリング “デジタル” AVI Mk.1.2。Photo: @watchfred on Instagram

 もう1本は、デジタルカウンターを備えた1951年製のRef.765 AVIである。3時位置に従来のインダイヤルではなく、デイト窓のようなカウンターがあり、15分単位で時間を計測する。1950年代のパイロットに15分間の計測が必要だったのには理由があったのだろうが、私にはとんと見当もつかない。15分でカフスボタンを磨いたりしていたのか? 大切なのは、革新的で珍しいアイデアだったということだ。なお、誰か売ってくれる人がいたら、大至急連絡してほしい(ブオリーブガーデンでレッドスティック食べ放題のディナーをおごろう!)。

 さて、ゴールドシュレーガーに触発されたここまでの戯言の要点は何だろう? 私がこれまでに買ったほとんどすべてのクルマは、当時はほとんど愛されなかったか無視されたものだった。しかし、ある時点でその価値が認められた。人々はようやくクルマに対する漠然としたイメージではなく、目の前のクルマそのものを見るようになったのだ。私は自分のことを予知能力者だというつもりはないが(まあ、少しはそうかもしれない)、私が言いたいのは、今愛されていないことが将来的にも愛されないことの証明にはならないということだ。これは私たち誰もがつい忘れがちなことだ。ゆえに、世間の総意という引力に抗うことができれば、そのものの本質を見抜くことができるようになる。たとえばそう、ヴィンテージ ブライトリングのように。

カルティエは多形体ハイジュエリーコレクションの一環として、ユニークなカラビナウォッチを発表した。

見た目はアール・デコ調で、時計付きのカラビナクリップとしても十分に機能するアイテムだ。この宝石をあしらったオブジェを最初に見たとき私は狂喜に打たれ、そのすぐあとにはInstagramでこの新しい宝石セットのカラビナクリップが大好きだと暴走したが、実はこれは意外な事実ではなかった。ファッションにおけるワークウェアとユーティリティに焦点を当てて考えると、これはある意味理にかなっているのだ。


前回のLVショーに登場したファレルの写真を拡大してみて欲しい。ジュンヤ ワタナベ マンの2005年SSコレクションから(私が個人的に覚えている限り)、2017年のルイ・ヴィトン×フラグメントデザインのためのキム・ジョーンズによる玉虫色のクリップに至るまで、カラビナクリップは以前からランウェイで広く使われてきた。カルティエ スーパーコピーしかしカラビナの存在感は大手ファッションブランドだけにとどまらない。ヘロン・プレストンのオレンジ色のカラビナストラップや、クリストファー ケインの23年SSコレクションのクリップ、ロンドンを拠点とするチョポヴァ・ロウェナのスカートは、複数のカラビナでつなぎ合わせられている。ジュエリーブランドもこのトレンドに参加しており、マーラ・アーロンやイーラ、さらに東京を拠点とするブランド、アンブッシュはカラビナクリップでイヤリングやネックレスを作っている。挙げればきりがない。

宝石がセットされたカラビナは、カルティエのヘリテージに敬意を表しながらも、完全にモダンなパッケージになっている。カラビナはネックレスやイヤリングのような重みや女性らしさを求めるものではなく、タフでエッジの効いたアクセサリーだ。クリップにはダイヤモンドを敷きつめたダイヤルがあり、その周囲をエメラルドとチャンネルセッティング(レール留め)されたサファイアで縁取っている。12時位置にはルビー、その両脇にラピスラズリ、オニキス、ブラックスピネル、ターコイズ、クリソプレーズのビーズを配置。カラビナはサファイアのカボションを押すと開く。隠されたボタンを押すと、チャンネルセッティングのスクエアルビーに縁取られたパヴェダイヤモンドのバンドが作動する仕組みだ。なかにはクォーツムーブメントを搭載している。

ここでは、メディアを賑わせている“首に巻く腕時計”(あるいはそのほかの意外な体の部位)についての議論を深く掘り下げないことにする。しかし単に宝石があしらわれたカラビナではなく、機能的な時計を備えたカラビナでもあるこの新しいハイジュエリーアイテムの文脈を理解するために、この時計を身体の装飾品として無視するのは間違いだ! テイラー・スウィフト(Taylor Swift)とリアーナ(Rihanna)が首(それと足首)に時計をつけていて、ジュリア・フォックス(Julia Fox)が全身に時計をつけているのなら、ウォッチジュエリーの元祖を振り返るべきだろう。


19世紀のベル・エポック時代には、ペンダントウォッチ人気が顕著で、時計はシャトレーヌ(腰に身に付ける留め具)にもつけられていた。それとヴィクトリア女王が1851年に購入した、ブルーエナメルとダイヤモンドのパテック フィリップ製ペンダントウォッチも忘れてはならない。それ以前の18世紀には、女性がふたつの懐中時計を腰につける“ダブルリスト”が流行した。

カルティエの話に戻すと、同社は20世紀初頭から、ウェアラブルで機能的な腕時計の“オブジェ”を作るビジネスを展開してきた。30年代に作られたゴールドやエナメルの札入れ(そのなかにはポケットに入れるとダイヤルを保護するために時計が回転するものもあった)から始まり、ゴールドのシャープペンシルに小さな時計がついたものまで(これらを何と呼ぶかは難しい)、さまざまなヴィンテージの装身具が市場に出回っている。またコンパスと時計がセットされた回転するカフリンクス、ジャガー・ルクルトムーブメントを搭載したベークライトとゴールドのバックワインドクリップウォッチ、さらにはデザイナーのジーン・トゥーサン(Jeanne Toussaint)が1920年代後半に設立したカルティエの “S”(シルバー)部門が開発した、シルバーのペンナイフもあった。彼女が監修した実用的なオブジェは、装飾の程度も軽くて手に取りやすく、世界恐慌の時代に大成功を収め、贈り物としても人気を博した。

この2024年のリリースに最も近いヴィンテージアイテムは、ゴールド、スティール、銅でできた1937年のポケットマルチツールだろう。SS製のナイフの刃、カットされていない銅製の鍵(つまり、自分の仕様に合わせて鍵をつくってもらうことができる)、伸縮式のシャープペンシルが組み合わさっている。そして時計も!

時計ディーラーであり、ヴィンテージウォッチ・オブジェの専門家でもあるFoundwellことアラン・ベッドウェル(Alan Bedwell)氏は、「このコンセプトを忘れてはいけません。時間の使い方は、最近私たちがごく当たり前のこととして受け止めているものです」と語る。「スマートフォンやスマートウォッチ、安価なデジタルウォッチは、世界中の正確な時間に、誰もが一瞬でアクセスできるようになりました。これらの壮大な芸術作品がつくられた当時、時間を知り、それをある程度“コントロール”することは、それ自体が贅沢なことでした。そのためお金を持っている人はどこにいても、例えばデスクの前にいても、電車で移動しているときも、オフィスで働いているときも、その“コントロール”を享受したかったのです。カルティエのようなラグジュアリーブランドの仕事は、できるだけ多くの工夫を凝らして、こうした人々の生活を豊かにすることでした。ペン、レターオープナー、マネークリップ、口紅ケース、ライターなど。ムーブメントが小型化し、信頼性が高まるにつれて、可能性は無限に広がり、デザイナーはより独創的なアイデアを持つようになりました」

もし私がカルティエのハイジュエリーの顧客だったら、すぐにカラビナのリストに名前を載せただろう。ジーンズにクリップで留めたり、リビエラのネックレスにペンダントとしてつけたりしていたはずだ。だってそれができるのだから。これはアール・デコのカルティエを、現代風にアレンジした完璧なアイテムである。地味な提案だが、ぜひ次はプレーンなイエローゴールドで作ってみて欲しい。

ここにあるコンクエスト ヘリテージ セントラル パワーリザーブはこの節目を記念して誕生した。

名前が示すように、この作品の最も斬新なディテールは、もちろん中央に鎮座するパワーリザーブインジケーターディスクである。そのルーツは1959年のロンジンのデザインにまでさかのぼる。現代的な38mmサイズのステンレススティールケースを採用したこのモデルは、ヴィンテージの先代に忠実でありながら、デザイン、構造、機能性の面で、今の時代にふさわしいと感じさせるだけの十分なアップデートが施されている。これこそが、飽和状態にある同ジャンルにおける、リバイバルモデルの成功の鍵だ。

いつもなら、無意識のうちにシャンパンとイエローゴールドのモデルに引かれていたが(1月にリリースされた3モデルのなかで、間違いなく最も伝統的な外観をしている)、今回は柔軟性を発揮して、違うものを試して自分の好みに挑戦してみるいい機会かと思った。そしてグレーとローズゴールドの組み合わせが、思っていたよりもずっと気に入ったと伝えておこう。一般的に言って、伝統主義者向けのよりクラシックなオプションと並列して、ヴィンテージのリブートデザインをモダンなカラーパレットでスタイリングしたモデルを発表するのは、ブランドの動きとしては賢い選択だ。“誰もが楽しめるもの”という理念は、引き続き効果的なのだ。

1959年のモデルと今回のモデルを見比べてみると、文字盤のレイアウトがほぼ同じであることに気づくだろう。唯一欠けているのは、翼のついた砂時計のエンブレムだけだ。テキストはかなり多い(タイポグラフィも多い)が、12時位置の日付窓とパワーリザーブディスクにより、全体的にバランスのとれた印象を与えている。デザイン言語は明らかにミッドセンチュリーであり、ドレスウォッチのカテゴリーに非常に適している。アプライドインデックスから針の形状、日付窓の台形のアウトラインまで、これらすべての要素が協調しながら機能し、クラシックで時代を超越した雰囲気を維持するのに役立っている。

中央のパワーリザーブ機能のユニークな特徴は、1枚のディスクが回転するだけでなく、2枚の同心円状のディスクが、ロンジン製Cal.L896.5のおかげで自動的に、または手動で巻けることである。パワーリザーブディスクのもうひとつの変わった点は、64までの数字が記されているが、実際には最大72時間のパワーリザーブがあり、64のとなりにあるポイントで示される。2万5200振動/時で時を刻み、単結晶シリコン製ヒゲゼンマイを搭載した同ムーブメントは、サファイア製シースルーバックをとおしてその動きを鑑賞できる。

ここで、本モデルについての私の主な不満を述べる。それはラグだ(興味のある方のために、ラグ幅は19mmだ)。短く切り詰められたサイズに好感を持ったが、実際手首につけてみると湾曲さが足りないと感じた。両サイドのラグや、レザーストラップと手首のあいだに隙間ができてしまい、その隙間が私を落ち着かなくさせた。しかし、これは付属のストラップが箱から出したばかりの新品で、その革の硬さが、より使い古されたストラップでは生じないような、空いた隙間を悪化させた可能性がある。加えて、もしあなたが私よりも大きな手首であるなら、この訴えはそれほど刺さらないだろう。とはいえ、直径38mmの見た目自体は気にならず、手首に装着したときの存在感の大きさにはかなり引かれた。
この時計は、その他ふたつの現代的な兄弟機とともに、ロンジンのヘリテージコレクションの恒久的なラインナップに加わったが、59万5100円(税込)という価格はほかの多くのラインナップよりもかなり高値だ。その価格は、中央のパワーリザーブインジケーターそのものの斬新さによって正当化できるだろうか? 私にはわからない。誰か教えて欲しい。しかし、このモデルとともに午後の数時間をゆっくりと過ごしてみたが、なぜ多くの時計愛好家を魅了するのかがわかった。そして、最近人気絶頂のRGとグレーの組み合わせに対する、私の不安を考え直させてくれたかもしれない。

 

新型チューダー ブラックベイがモノクロームへと進化。

マスタークロノメーター認定とT-Fitクラスプを備えたこの新型ブラックベイは、昨年のバーガンディモデルのデザインコードを踏襲している。
刷新されたブラックベイ バーガンディを見たとき、我々はそれを予想できたかもしれない。もし私が賭け事をする人間だったなら、今年はブラックとブルーで見られると賭けていただろう。そしてその賭けは半分外れた。ブルーはなかったがブラックが登場した…予想外に改良された形で。チューダーは今日、ブラックベイをモノクロトーンで発表した。チューダーのオールブラックダイバーの最新モデルが誕生したのだ。
この時計は、本質的には昨年のブラックベイ バーガンディの黒バージョンである。つまり、2023年リリースの新しい5連リンクブレスレット、新しいリューズ、T-Fitクラスプ、3種類のストラップオプション(5連リンク、オイスター、ラバー)、サブマリーナーをほうふつとさせる刻みの多い新ベゼル、そして文字盤にプリントされたマスタークロノメーター認定を備えていることを意味する。
しかし、昨年のリリースとは異なり、旧ブルーモデルのデザインと同様に、この新しいブラックベイには金色のギルト装飾が一切ない。ブラックベイのラインに、クリーンで新鮮な印象をもたらし、41mm径のBB(ブラックベイ)が依然としてブランドの中核をなす時計であることを表している。
我々の考え
チューダーは、自分たちが何をしているかをはっきりと理解している。2023年のW&Wでは、ブラックベイ 58の小型版、ブラックベイ 54を発表している。その時計の主な特徴は、言及するほどのギルト装飾のない無骨なベゼルだった。チューダーは今年、そのアイデアを41mmのブラックベイで実現したのだ。これは10年以上前、チューダーというブランドを積極的に変革した時計の、最新の進化形である。
モノクロのカラースキームは、“ノンギルト”のアプローチであり、ブラックベイのよりミニマルな外観と感触を提供する。昨年ケースはスリム化(13.5mm厚)され、BBを旧型へと近づけた。この新しい時計では、外観が完成され、完璧にそれを実現したように感じられる。ブラックの文字盤に映えるアップデートされたベゼルは、まるで成熟したブラックベイのようであり、T-Fitクラスプは歓迎すべき追加のオプションである。
この新しいブラックベイを含む、すべての新作を実際に手に取るために、まもなくW&Wに向かうので、ご期待あれ。
基本情報
ブランド: チューダー(Tudor)
モデル名: ブラックベイ モノクローム(Black Bay Monochrome)
型番: M7941A1A0NU

直径: 41mm
厚さ: 13.6mm
ケース素材: ステンレススティール
文字盤: ブラック
インデックス: アプライド
夜光: あり
防水性能: 200m
ストラップ/ブレスレット: SS製5連もしくは3連ブレスレット(ポリッシュ&サテン仕上げ)、またはラバーストラップ。“T-fit”クイックアジャストクラスプ
ムーブメント情報
キャリバー: MT5602-U
機能: 時・分・センターセコンド
直径: 31.8mm
厚さ: 6.5mm
パワーリザーブ: 約70時間
巻き上げ方式: 自動巻き
振動数: 2万8800振動/時
石数: 25
クロノメーター: マスタークロノメーター認定
価格 & 発売時期
価格: ラバーストラップは59万1800円、3連リンクブレスは62万1500円、5連リンクブレスは63万5800円(すべて税込)

オーデマ ピゲ 「ロイヤル オーク ミニ」が放つスウィンギング60'sの新作情報です。

強く、しなやかに。新時代に臨む現代女性の腕元に似合う23mm径のロイヤル オーク。

1997年にオーデマ ピゲスーパーコピー時計が発表したケース径20mmの「ミニ ロイヤル オーク」を現代的に解釈したロイヤル オーク ミニ フロステッドゴールド クォーツが登場。女性でも大ぶりな時計を選ぶ潮流があるなかで、大胆に小径化へと舵を切り、鮮烈な新風を吹き起こすこのモデルは、時代を自由に謳歌する現代女性のライフスタイルを彩ってくれるだろう。

あの小さなロイヤル オークがケース径23mmとなってカムバック

1997年に誕生した20mm径モデルミニ ロイヤル オークから、長い時を経てふたたび20mm台として登場したロイヤル オーク ミニ フロステッドゴールド クォーツ。何より目を引くのは、23mm径と小ぶりになってなお変わらぬ強烈な個性だろう。ロイヤル オーク誕生から50年余りの歴史のなかで磨かれてきた八角形ベゼルを持つケースとタペストリーダイヤルの組み合わせがなせる業だ。

ケース素材は、18Kイエローゴールド、18Kピンクゴールド、18Kホワイトゴールドの3種類で、それぞれ同色にまとめられたタペストリーダイヤルを備えることでモノクロームの世界を演出。ダイヤモンドダストのようなフロステッドゴールドの煌めきに加えて、八角形を縁取る鏡面仕上げやその他のサテンフィニッシュ、またはブレスレットのリンク、さらにはタペストリーの凹凸や立体的なアワーマーカーなどがそれぞれ影響しあい、角度を変えながら異なる表情の輝きを映し出してくれる。

もちろん、それらは34mm径のモデルでも感じられるものだが、23mmという小径化にともなってギュッと濃縮された印象を与え、実にジュエリー的な魅力をいっそう際立たせているようだ。

ムーブメントにはクォーツキャリバー2730を搭載。電池寿命も7年以上と長いだけでなく、リューズを引くと、電池接続を切って「スイッチオフ」できるという極めて実用的なものだ。裏蓋の中こそ見ることは叶わないが、このムーブメントにも伝統の装飾が施されている点は言わずもがなだろう。

新しいロイヤル オーク ミニを見る
 
レガシーに軸足を置いた未来志向のミニウォッチ

歴史背景を探れば、この時計が時代を拓く新鮮な一本であることがさらに見えてくる。

オーデマ ピゲが1972年に発表したロイヤル オークだが、1976年には2番目のモデルとして女性に向けてリデザインした29mmのロイヤル オークを登場させた。当時デザインを手がけたのは、ブランドのデザイン部長を務めたジャクリーヌ・ディミエだ。時計ファンの間では、“ラグジュアリースポーツウォッチ”の元祖と目されるシャープな腕時計を、女性の手元にも似合うように再構成した彼女の功績は小さくないだろう。その後、ロイヤル オーク誕生25周年という節目の1997年に、20mm径のミニ ロイヤル オークが登場。当時の世界最小クォーツムーブメントを搭載し、ミニマル化がここに極まった。

元来、レディスウォッチの開発に余念がないこのマニュファクチュールが、ムーブメント製造技術の高まりと同時に精度を保ちながらの小径化を見せ、ディミエによって“小さくても美しい”端正な美を表現。マニッシュでありながらグラマラスな魅力をも兼ね備えたモデルが、一連の小径ロイヤル オークということになる。

新作のモダナイズという側面においては、フロステッドゴールドがそのアイデンティティを担っている。これは、ブランドとの関わりが深い宝飾デザイナー、キャロリーナ・ブッチによって2016年にブランドで初めて導入された加工で、ダイヤモンドチップのついたツールでハンマリングする職人の繊細な手作業は、機械技術が高まる現代において、いっそう価値あるものだ。

イラリア・レスタCEOは、「これらのミニクリエーションは オーデマ ピゲのミニチュア化とジュエリーウォッチの長い伝統だけでなく、ブランドの歴史に名を残した女性たちへのトリビュートでもあります。そのなかにはロイヤル オークのレディスモデルをデザインしたジャクリーヌ・ディミエ、フロステッドゴールドをブランドに導入したキャロリーナ・ブッチがいます」と、小径モデルに関連する女性クリエーターへ賛辞を贈る。

マニッシュなロイヤル オークを、レガシーに基づきながら先端的なレディスウォッチとして見事に進化させたロイヤル オーク ミニ フロステッドゴールド クォーツ。ジェンダーの垣根を越えることにポジティブな現代において、先進的な女性の腕元に似合う未来志向の腕時計と言って過言ではないのだ。
オーデマ ピゲ公式サイトを見る
 
しなやかに新風を纏うなら、シックスティーズの気分で

時刻を示す道具である一方で、軽やかなファッションを飾るジュエリーともなりうる腕時計だからこそ、軽やかに、しなやかに、時代を纏いながら楽しんで身につけたい。

このところ、モードの世界でも徐々に注目を浴びているのが、シックスティーズのムード。当時、それまでのオートクチュール全盛だった女性の服飾界にストリートからの新風が吹き込み、大人のモード服も様変わりした時代だ。スウィンギング・ロンドン、ミニスタイル、マッシュルームカット。象徴的なキーワードを耳にするだけでも、当時のカウンターカルチャーが服飾に与えた大きな影響を感じることができる。

今もエディ・スリマンなどを筆頭に、こうした時代のムードを取り込んでいるデザイナーも多く、オーセンティックなチェックジャケットや明るいカラーブロックの配色、ラップドレスなどを現代的に解釈して、新たな潮流を生み出しているのだ。1960年代も、混沌とした世情である点は現代とも共通しているようも思える。そうした時代の荒波のなかでも、強くしなやかに生きる人のライフスタイルに、こうしたシックスティーズを意識した先端スタイルはよく似合う。

その腕元には、もちろん同じように強くてしなやかに映るロイヤル オーク ミニ フロステッドゴールド クォーツが輝くはずだ。

クォーツ技術は、1970年代の時計美学の進化に大きく寄与した。

パテック フィリップを含むスイスの高級時計メーカーは、新技術に直面して実験的なデザインに取り組むしかなかった。また、HODINKEEの元エディターであるジョー・トンプソンが以前“ファッションウォッチ革命”と呼んだ現象の出発点でもあった。電池式時計の登場から10年で、ウォッチメイキングの大部分は計時機能よりも外見に重点を置くようになり、ついには時間を知らせるだけのファッションアクセサリーへと進化した。
 日本から輸入されたこの技術は、大手で非常に有名なファッションブランドによる時計会社とのライセンス契約の増加を生んだ。クリスチャン・ディオール、グッチ、イヴ・サンローランといったブランドは、安価なクォーツウォッチのダイヤルに自社のロゴを付けて、大衆市場での利益を上げることができるようになった。
イヴ・サン=ローラン(1936年~2008年)、1982年1月にパリのスタジオにて。

多くのファッションブランドがライセンサー/ライセンシーとして利益を追求するなか、イヴ・サン=ローラン(Yves Saint Laurent)を取り上げることは現代のファッション界を分析する上で最も明白な選択である。彼は既成のドレスコードに鉄槌を下した革新者であり、最終的に20世紀後半の女性ファッションを定義づけた。サンローランのメゾンは、1960年代にはパリの女性の服装を保守的で堅苦しいマンネリから解放し、“オピウム(香水)”や1970年代のセックスセールス戦略で世界を騒がせ、1980年代にはあらゆるものに自信を持ってその名を刻み込んだ。
 1983年にメトロポリタン美術館で開催された回顧展において、ファッションの女帝でありコスチューム・インスティテュートの大御所であるダイアナ・ヴリーランド(Diana Vreeland)によって“生きる天才”および“ファッション界の導師”として称えられたイヴ・サン=ローランは、ファッション界のエリートたちから“天才”やその類義語を与えられて絶えず称賛されてきた。これは現代の時計デザインの流れを変えた天才的な開拓者としてしばしば称えられる、ジェラルド・ジェンタ(Gerald Genta)に対する時計愛好家の賞賛の仕方に似ている。
1983年12月6日、ニューヨークのメトロポリタン美術館で開催されたコスチューム・インスティテュート・ガラの“イヴ・サンローラン: デザインの25年”にて、ダイアナ・ヴリーランドとイヴ・サン=ローラン。
1957年にクチュリエの巨匠であるクリスチャン・ディオールが急逝したあと、若き見習いとしてキャリアをスタートさせたイヴ・サン=ローランは、わずか21歳でディオールの後継者となった。その3年後には、自身の名前を冠したブランドを設立する。その後は、モンドリアン・ドレス、ル・スモーキング、サファリ・ルック、そして1976年の“バレエ・リュス”ショーなど、多くの名作を生み出した。このショーは、「イヴ・サン=ローランが本日発表した秋のクチュールコレクションは、ファッションの流れを変えるだろう」とニューヨーク・タイムズ紙の一面を飾った。彼は1960年代から80年代にかけて、オートクチュール界の北極星となったのだ。
イヴ・サンローランのオートクチュール、春夏2002コレクションにて登場したモンドリアン・ドレス。イヴ・サンローランのレディ・トゥ・ウェア(プレタポルテ)レーベル、“リヴ・ゴーシュ”は1966年に設立。オートクチュールがお金を惜しまず、またオーダーメイドのワードローブのフィッティングに時間を費やせる社交界の人々のために存在する一方で、リヴ・ゴーシュはパリの若者やトレンディな人々が集まる左岸にて若者向けの既製アイテムを販売し、もう少し手ごろな価格でYSLの世界に足を踏み入れる方法を提供した。リヴ・ゴーシュの成功の原動力を理解することは、最終的に大量のライセンス契約によってその評判を確立した会社のビジネスモデルを理解する上で欠かせない。それはYSLの世界を拡大するための道筋でもあった。
パートナーであり共同創業者、そして後に社長となったピエール・ベルジェ(Pierre Bergé)は、60年代と70年代にイヴ・サンローランというブランドのイメージを築き上げた。ベルジェは、YSLが代表するライフスタイルを顧客に受け入れさせるという点で、時代を先取りしていた。パリのファッション界の舞台裏にある陰謀を利用し、ベルジェはクチュリエであるサン=ローランを中心に立て、ブランドの魅力的かつ強力な象徴に仕立て上げた。サン=ローラン自身も広告キャンペーンに登場しており、男性用香水のYSLプールオムの発売時にヌードで登場したことは有名な話だ。
1978年9月20日、ニューヨークのスタジオ54で開催されたオピウムパーティにて、左からホルストン(Halston)、ルル・ド・ラ・ファレーズ(Loulou de la Falaise)、ポタッサ(Potassa)、イヴ・サン=ローラン、ナン・ケンプナー(Nan Kempner)。Image: Getty.
化粧品とフレグランスは、さらに広範なグローバルライセンス契約の前兆に過ぎなかった。1975年には、シチズンが日本市場向けに限定してYSL(イヴ・サンローラン)とライセンスを結び、時計を製造・販売し始めた。YSLがデザインを担当し、シチズンが製造を行っていたのだ。最初の製品ラインは手巻きの2針式で、薄型の正装時計に対する需要に基づいてつくられた。初期のデザインは、YSLのエレガントな美学に緩やかに沿ったものであり、このコラボレーションの結果、スマートにデザインされ、金メッキが施された高品質のクォーツウォッチ(いくつかの機械式も含む)が誕生したのである。
YSL×シチズンのクォーツウォッチ。80年代頃に製造されたモデル。
スリムで洗練されたデザインは、リッチなブラウンやパープル、またはシンプルでクリーンなブラックのパレットで彩られ、正確に配置されたラインが実験的なテクスチャー(スネークスキン!)とカラーを引き立てていた。1970年代という“何でもあり”の時代にあっても、これら初期のシチズンYSLモデルはスムーズかつ控えめで洗練されていたのだ。時計に刻まれたファッションの影響は魅力的であり、威圧的ではなかった。
今日、シチズンは豪華さや華やかさのイメージを強く喚起しないかもしれないが、初期のシチズンYSLコラボレーションはデザインが優れており、品質もかなりよかった。70年代半ば、すべての日本の時計メーカーがこぞってクォーツ技術を採用し、手ごろな価格と高級感の融合を試みた。誰もが認めるリーダーはセイコーだったが、同じく東京のライバルであるシチズン(当時はセイコーの売上の約4分の1に過ぎなかった)もクォーツ美学革命の最前線に立っていた。それは大いなる実験の時代であり、時計を比較的安価につくることができたため、ひとつの正しい美学的解答は存在しなかったのだ。
社内向けのヴィンテージシチズンカタログ。Image: Courtesy of Citizen.
コラボレーションの開始当初と初期の数年は、YSLの世界観と、ある程度計算された美学的なクロスオーバーが少なからずあった。これらの時計はスリムでセクシーであり、1970年代の誘惑的な享楽主義(オピウムの香り)に満ちたサン=ローランの世界観と見事に一致していた。イヴ・サンローランのクチュール全体ではなく、手ごろな価格でYSLの一部分を楽しむことができたのだ。
1970年代の機械式YSL、“レベルソ”。Image: Courtesy of C4C Vintage Watch Store. 
機械式とクォーツの“レベルソ”。Image: Courtesy of a Portuguese watch collector.  
それでは、なぜオートクチュール、グラマー、カトリーヌ・ドヌーヴのようなフランスのイットガールたちで構成される世界観を持つ、グローバルに評価されるパリのメゾンであるYSLが、低価格帯の大衆市場向けウォッチを販売するライセンス契約に自らの名前を付けることを望んだのか? ベルジェは皮肉にも会社を宣伝することに成功した。彼は社長として単なるファッションハウスだけでなく、YSLロゴの力を利用し、グローバルなマスマーケット向け企業としても運営する。80年代から90年代にかけていたロゴマニアのはるか前から、同ロゴには販売力があったのだ。1998年のFIFAワールドカップ決勝戦(世界中17億人の視聴者が生中継を見ていた)前に、イヴ・サンローランはスタッド・ド・フランスで大規模なファッションショーを開催し、300人のモデルがピッチ上で巨大なYSLロゴを形成した。

ユリス・ナルダンとともにグループの一翼を成すジラール・ペルゴ。

ジャン=フランソワ・ボットが1791年に興した時計工房に端を発する。彼の死後も工房は長く続いたが、最終的に同じく時計職人だったコンスタン・ジラールが1852年に設立した時計会社に引き継がれ、1856年には妻のマリー・ペルゴの姓を取り、現在まで続くジラール・ペルゴの名が誕生した。

 ジャン=フランソワ・ボットが築いた工房では、当時はまだ珍しかった時計の設計から製造、組み立て、最終的な品質管理まで自社で行うマニュファクチュール体制を確立したことで成功を収めた。これはジラール・ペルゴにおいても引き継がれ、1906年にボットの工房を買収したことで現在のジラール・ペルゴのベースが築かれ、創業当初から今日まで自社製造にこだわる希有なマニュファクチュールとしての地位を今に伝えている。

 そんな歴史あるマニュファクチュールで2019年に執行委員会の最年少メンバーである製品責任者に任命され、2020年からはチーフ プロダクト& マーケティング オフィサー(CPO&CMO)として現在ブランドを牽引するひとりがクレマンス・デュボア(Clemence Dubois)氏だ。CPO&CMOは従来の役職としての枠を大きく超え、ブランドにとって重要なふたつの部門の監督を兼ねている。マーケティングおよびコミュニケーション戦略を策定する責任に加え、ジラール・ペルゴの主要な新製品発表の年間計画を決定し、デザイナー、テクニカルプロジェクトマネージャー、プロダクトマーケティングなどを含む、すべてのタイムピース開発を専門とするチームを管理する。またデザイン、R&D、製造、コミュニケーション、外部サプライヤーなど、あらゆる面で主要な関係者を監督し、社内で調整するのも彼女の仕事であり、重要案件の要旨からプロトタイピング、製造までの各重要なステップを確実に進める上で欠かすことのできないチームの極めて重要なメンバーとなっている。まさにジラール・ペルゴにおけるキーマンが先日来日を果たし、我々HODINKEE Japanのインタビューに答えてくれた。気さくに答えてくれる彼女の口からは、実に興味深いエピソードをいくつも聞くことができた。

クレマンス・デュボア(Clemence Dubois)

ジラール・ペルゴ チーフ プロダクト& マーケティング オフィサー(CPO&CMO)。2011年にHEC ローザンヌ、およびHEC パリのビジネススクールで経営学の学位を取得。2013年にマーケティングの修士号を取得したのち、ジラール・ペルゴで10年以上のキャリアを積み、2019年に製品責任者に任命される。2020年には製品開発、マーケティング、コミュニケーション活動を統括するチーフ・プロダクト・マーケティング・オフィサーに就任し、現在に至る。

キャスケット 2.0が、デュボア氏にとって最初のプロジェクトだった

2022年に発売されたキャスケット 2.0。
佐藤杏輔(以降、佐藤)
2020年にCPO&CMOに就任され、ジラール・ペルゴの製品およびマーケティング責任者として重要な役割を果たされていますが、現在のポストに就任して最初に手がけたプロジェクトはなんですか?
クレマンス・デュボア氏(以降、デュボア)
 実はたくさんプロジェクトがあったのですが、特に“キャスケット 2.0”はとても特別なプロジェクトでした。キャスケットは1976年に生まれたタイムピースでしたが、ジラール・ペルゴのマインドを見事に映し出している存在だと思います。そこでまずはそのような製品をリバイバルさせようというのがプロジェクトのスタートとなりました。レトロなルックスはキープしつつ、同時にとても未来志向なものにしたいと考えていましたね。

 ブランドの歴史を振り返っても、このようなプロジェクトはこれまでにもたくさんありました。私たちは非常に独立系らしい、マニファクチュールとしての取り組みをこれまでもやってきましたが、デザイナー、そしてウォッチメーカーも含めてブランドで働く人たちすべてがそのようなマインドを持って仕事をしています。

 ブランドではひとつの世代からまた次の世代へと必ずさまざまなノウハウが伝承されますが、それを担保していくこと、途切れることなく継承していくことが、CPO、CMOとしての私の1番大切な仕事ではないかと考えています。ただしそれは必ずしも過去に対する敬意だけでは成り立たず、やはり顧客のみなさんにワクワク感を届けることができるようなものでないといけないとも思っています。

 幸いなことにジラール・ペルゴには230年以上の長い歴史がありますので、そのなかで十分に“遊べる”ものがあるのです。そういった意味でもキャスケットはうってつけのプロダクトでした。230年以上も前に創業者のボットが、200人の職人たちを集めてひとつ屋根の下で時計づくりを始めようと考えたわけですが、時計づくりという点においてはもちろん、現在にも続くビジネス(スタイル)の始まりでもあり、非常に革新的な起業家精神を持っていてそれが今でも息づいているというのはジラール・ペルゴの魅力だと思うのです。 

オリジナル(1976年)

キャスケット2.0(2022年)
佐藤
ジラール・ペルゴにはアイコニックな製品が過去に数多く存在していましたが、そのなかでなぜキャスケットを最初のプロジェクトに選んだのですか?
デュボア
 現在ブランドのコレクションとしては特にロレアートとブリッジが大きな柱になりますが、70年代を振り返ってみると非常に興味深いことが分かります。当時はフェイスだけで時計を判断しませんでした。どちらかというとブレスレットもひとつのものとして時計と考える時代で、そういった意味でキャスケットはまさに当時のトレンドのど真ん中と言えるプロダクトでした。

 研究開発においてもとてもおもしろい時期でした。ジラール・ペルゴでは1970年代に初めて研究開発部部門(R&D部)と呼べるものが立ち上がりましたが、そこではたくさんのムーブメントを開発することになりました。ご存じのとおり、現在のクォーツウォッチにおける周波数は、ジラール・ペルゴのR&D部が開発したムーブメントが基準になっています。私としてはそうした70年代を改めて賞賛することをやりたいという思いが強くあったのです。

 こういった時計(キャスケットのようなアイコニックな時計)が、ジラール・ペルゴにはほかにもたくさんあります。ディープ ダイバーもそうですね。この時計は1969年に登場しましたが、おそらくこれがロレアートの始祖と言えるのではないかと考えています。ベゼルが14角形なのですが、私たちはとても形状にこだわります。現在のロレアートもそうですね。この時計は円形リング上に配されたホールマーク入りの八角形ベゼルや、クル・ド・パリの文字盤などがそのいい例です。おっしゃるようにたくさんの時計のデザイン、アイコンが過去にあるわけですが、ブランドには従うべき原理原則があり、必ずオリジナルに対して敬意を払うこと、そしてそこから離れてはいけないとしています。

 ひとつには対称であること、非対称であってはいけないということです。厚みと直径の比率にもこだわりがあり、バランスがよくなければいけません。そして腕につけたときのつけ心地もよくなければならない。つまり人間工学的な要素がジラール・ペルゴにとってはとても大切な部分だということです。そして“ライト”という考え方にもすごくこだわっています。

 この“ライト”には、光、そして軽さという意味があります。まず光についてですが、キャスケットはまさに明暗のコントラストを表現しています。デジタルディスプレイ部分ですね。あとはキャスケットが使っているさまざまな素材も、この“ライト”で遊ばせてくれるものとして考えています。(軽量な)マクロロン、それから(重量のある)ステンレススティールの対比ですね。ロレアートにも同じことが言えるでしょう。さまざまな素材、さまざまな仕上げ、形状もそうです。光の表現を大切にしているのはもちろんですが、軽さ、軽量さということにも注意を払って表現しています。

佐藤
今でこそ1970年代の変わった時計や“シェイプドウォッチ”と呼ばれるさまざまなスタイルが市場で認められるようになりましたが、キャスケット 2.0が発表された当時(2022年)はまだそれほど注目されるものではありませんでした。発表当時、ヒットの確信のようなものはあったのでしょうか?
デュボア
 私はジラール・ペルゴの精神性を具現化させる立場にあるので、そういった意味では先進性、つまり人よりも先を行かなければいけないという意識はすごくありました。だからといって、単にトレンドを追うということではありません。世の中が納得するものであること、つまりプロダクトに合理性があればヒットするとは考えていました。そういった意味では、ジラール・ペルゴのキャスケットの復活は、おそらく市場としても非常に納得のいく組み合わせだと改めて思われるという確信はありました。

 私たちはとても幸運だと思っています。ジラール・ペルゴには、非常に強力なコミュニティが存在しているのです。実はその世界中のコミュニティが声を上げてくれてたんですね。私はこのジラール・ペルゴコミュニティのファンの声を聞き、アイデアが浮かびました。復活プロジェクトにチャレンジしよう、そしてムーブメントを新たに開発していくつかの機能を追加しようと考えたわけです。オリジナルのスピリットはもちろん継承していくのですが、もちろん21世紀にふさわしいものとして当然ながら再定義が必要でした。2、3年かけて開発したので、2019年にはすでにプロジェクトは動き出していたことになりますね。

キャスケット 2.0の詳細は、2022年に公開した記事「ジラール・ペルゴ キャスケット 2.0 再び光輝く永遠の名品」 のなかで詳しく解説しているので、ぜひ今1度読んでみて欲しい。すでに完売しているので、欲しくなっても購入できないのは残念だが・・・。
佐藤
ジラール・ペルゴにとって、コレクターコミュニティの声、意見を聞くことはよくあることなのですか?
デュボア
 そうですね。それが230年以上の歴史を紡いできたインデペンデントブランドのよさだと考えています。自分たちにとって何がいいか、何をすべきかということをファンの声からも探ることができるというのはとても素晴らしいことです。普段から楽しんでジラール・ペルゴの時計をつけて欲しいですね。(キャスケット 2.0の復活は)まさにコミュニティのおかげというところが多くあります。ですから、コミュニティの意見を聞くというのはとても大切で、できることならみなさんに工場へ来てもらいたいといつも考えているくらいです(笑)。

佐藤
ジラール・ペルゴはとても長い歴史を持っていますが、デュボアさん自身が思うブランドの強みとは、どんなものだと考えていますか?
デュボア
 ジラール・ペルゴの強みというのは…、まずは否定をさせてください。逆の言い方をしますと、たとえばすでにある機能に対して新しい機能を付け加えていくことがジラール・ペルゴではないと思っています。私たちがすでに持っているブランドのシグネチャー(ブリッジは150年以上前に誕生した最も古い機械式のシグネチャーである)、いわゆるサヴォアフェール(伝統的な匠の技)、自分たちの持っている知見というものの限界をどこまで押しげていくかを常に追求しているのがジラール・ペルゴなのだと思っています。

 そして一貫生産できること、オートオルロジュリー マニュファクチュールであるということは、やはり強みであると考えています。いわゆる“コンセプトウォッチ”を作るような会社ではないということです。身につけてもらうものを作ること、“本物”の時計にすることが大切だと考えているのです。例えば、ネオ コンスタント エスケープメント(その詳細はこちらの記事を読んでみて欲しい)はその好例だと思います。とても革新的な脱進機なのですが、その開発には20年間もかかりました。コンセプトウォッチとして発表して“どうですか? すごいでしょ!”というカタチで終わることもできたと思いますが、私たちとしてはそれをまた押し広げて、限界を広げて、みなさまに見てていただけるものとするために挑戦し続けたのです。1本のみのユニークピースではありません。もちろん何百本も作れるようなものではありませんが。
 

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